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七福とは、人間の徳と考えられた「長寿(寿命)」、「富財(裕福)」、「人望」、「正直(清廉)」、「愛敬」、「威光」、「大量」の事です。 これらを神仏聖人に当て嵌め七福神として室町時代後期から崇めたのが始まりと言われています。 隅田川七福神巡りは、毎年1月元旦から七草迄の7日間に行うのが御利益があると言われ、 特に元旦は大賑わいです。浅草駅から東武スカイツリーライン(伊勢崎線) 堀切駅までの間に点在し、 徒歩でおよそ2〜3時間の行程です。 参拝期間は1月7日までで、この間はすべての寺社で拝観可能(白鬚神社は、神社自体が寿老人なので ご神像はない)です。 隅田川七福神の御分体と呼ばれる人形(500円)は黒く、宝船(3500円)の授与は8日 まで行われています。 福禄寿の向島百花園は正月3ケ日は入園無料。また無料のスタンプは通年各寺社に置かれています。 参拝の順路の決まりは無く、浅草側から@A三囲神社(恵比寿、大国神)→ B弘福寺(布袋尊)→C長命寺(弁財天)→D向島百花園(福禄寿)→E白鬚神社(寿老人;寿老神)→ F多聞寺(毘沙門天)のコースか、逆のコースが通例です。 |
☆隅田川七福神巡り |
アクセス | 東武線浅草、東京スカイツリー(旧業平橋)、東向島(旧玉の井)、鐘ヶ淵、堀切から徒歩 | 推定所要時間 | 2〜3時間 |
三囲神社 | 恵比寿 | 墨田区向島2−5−17 | 03−3622−2672 |
三囲神社 | 大黒天 | 墨田区向島2−5−17 | 03−3622−2672 |
弘福寺 | 布袋尊 | 墨田区向島5−3−2 | 03−3622−4889 |
長命寺 | 弁財天 | 墨田区向島5−4−4 | 03−3622−7771 |
向島百花園 | 福禄寿 | 墨田区東向島3−18−3 | 03−3611−8705 |
白鬚神社 | 寿老神 | 墨田区東向島3−5−2 | 03−3611−2750 |
多聞寺 | 毘沙門天 | 墨田区墨田5−31−13 | 03−3616−6002 |
トイレ場所
トイレは駅や七福神を祀っている各神社仏閣にありますが、道路沿いに点在 する公園にもあります。しかし、冬場は寒く、できれば昼食等を兼ねて営業中の レストラン等を利用することを推奨します。 |
三囲神社 近江国三井寺(滋賀県)の僧源慶が、東国遍歴のとき、 牛島のこのあたりに壊社を見つけ、弘法大師ゆかりのことを 聞いて、社を改築しようとしたところ、土中より白狐に またがる老翁の像を得ました。その時、白狐が現れ、 神像を三回まわったところから「三囲」の名としたと 伝えられています。 神社の本殿は文久2年(1862)に建築・明治の修繕で、 震災・戦災を免れました。 著名な伝承として、元禄6年(1693)に、俳人宝井其角が 村人に代って雨乞いのために句を詠じ、翌日雨がふったと 「五元集」にあります。境内には七福神のうち、 恵比寿・大国神の二神が祀られ、その内殿は文久3年(1863) 大工棟梁清水喜助が寄進した立派なものです。 |
弘福寺 現在の本尊釈迦如来像は、江戸時代の仏師松雪禅師の 作といわれています。黄華宗特有の唐風の特徴をもち、 正面に二つ見える円窓、堂前の月台など、他の寺院に あまりみられないものです。京都万福寺の本山と同じ 建築様式、禅宗にちなみ、大雄宝殿に布袋尊が安置されています。 境内には、人呼んで「咳の爺婆尊」の石像があり、 咳・風邪の病にご利益があると、煎豆や番茶を そなえて供養する習わしが伝わっています。 |
長命寺 寛永(1624〜1643)のころ、三代将軍家光(家康の説もある)が、この辺りに 鷹狩りに来た時、急に腹痛をおこしたが、当時の住職が加持した庭の井戸水で薬 を服用したところ傷みが治まったので、長命寺の寺号を与えられたといいます。 本堂には弁財天が安置され、古くは境内に弁天堂や芭蕉堂がありました。 芭蕉の句碑「いざさらば雪見にころぶ所まで」は、この地で詠まれたという確証 はないが、雪見の名所向島にふさわしい句ではないでしょうか。 |
向島百花園 百花園という名は、 「梅は百花のさきがけ」という意味です。 ごの名園も安政の大地震以来しばしば災難に遭い、また今次の 大戦ですべて焼失し、現在の姿にまでなったのは昭和33年以降のことです。 |
白鬚神社 昔は境内に松、けやき等が多く白鬚の森といわれ、向島百景、隅田川二十四景に 数えられていました。社伝によると、天歴5年(951)に慈恵大師が関東に下向の折、 近江国志賀郡に鎮座の白鬚大明神の分霊をここに祀ったと伝えています。これを その名が示すとおり、白い鬚の寿老人と見なし、七福神のうちの寿老人としたといわれています。 |
多聞寺 区内最北端にあり、震災・戦災ともに遭わなかったので、昔日の面影を残す数少ない 寺院となっています。 木造茅葺切妻造四脚門の様式をとり、境内正面入口に東面して建てられている山門は、 多聞寺に残る唯一の江戸期木造建築であり、区内最古の建造物と考えられています。 |
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